『美しいキモノ』(ハースト婦人画報社) 夏號のお知らせ
2022/05/20
連載中の『東都風流』について。
今回おたずねしましたのは、柳橋のルーサイトギャラリーと云う、ありし日の市丸姐さんのお宅で、現在の持ち主である米山明子氏は、かつて柳橋のみならず東都でも五指に洩れぬ名料亭「いな垣」の御孫樣にて、私と同年輩ということもあり、昔ばなしに花が咲きました。
画像は福岡市美術館蔵の『旗亭涼宵』。
モデルとなった市丸さんは、故郷の浅間温泉から住み替えて浅草の藝者となるや、忽ち、日本ビクターの看板歌手として一世を風靡しましたが、この絵が描かれたのは昭和八年、スタア街道を疾走する二十代半ばの面影うつす貴重な肖像畫であり、当時のモダン趣味ただよう風俗畫の傑作であります。
作者の小早川清は鏑木清方の門下ながら、画業半ばにして不帰の客となり、今や世人の偶目から去るにも似た画家ですが、その心匠のありどころを再確認したいと思い、今回取り上げました。
もちろん、昭和一代の鶯藝者である市丸さんの藝と人柄について、なつかしい想い出に酔いつゝ、拙き筆で綴りましたので、是非、御一讀ねがいます。
今回おたずねしましたのは、柳橋のルーサイトギャラリーと云う、ありし日の市丸姐さんのお宅で、現在の持ち主である米山明子氏は、かつて柳橋のみならず東都でも五指に洩れぬ名料亭「いな垣」の御孫樣にて、私と同年輩ということもあり、昔ばなしに花が咲きました。
画像は福岡市美術館蔵の『旗亭涼宵』。
モデルとなった市丸さんは、故郷の浅間温泉から住み替えて浅草の藝者となるや、忽ち、日本ビクターの看板歌手として一世を風靡しましたが、この絵が描かれたのは昭和八年、スタア街道を疾走する二十代半ばの面影うつす貴重な肖像畫であり、当時のモダン趣味ただよう風俗畫の傑作であります。
作者の小早川清は鏑木清方の門下ながら、画業半ばにして不帰の客となり、今や世人の偶目から去るにも似た画家ですが、その心匠のありどころを再確認したいと思い、今回取り上げました。
もちろん、昭和一代の鶯藝者である市丸さんの藝と人柄について、なつかしい想い出に酔いつゝ、拙き筆で綴りましたので、是非、御一讀ねがいます。